浅く広く、適当に何か書いてます。

2021年10月22日金曜日

【M&B:Warband】おすすめMOD【時代・舞台別】

ごきげんよう。

え?今更Warband?時代はバナロだよ?

A.うるせー!

 Bannerload(バナロ)の現在の弱点は、大型MODが少ないことです。
一方でWarbandのMODは無茶苦茶沢山あります。今回はWarbandの可能性を百倍に広げてくれるようなMOD達を紹介します。

 実は筆者はWarbandで十分すぎてバナロを買えていません。半額きたら買う(買わない)

時代と舞台から見るMOD一覧

 私が知りうる限り、次のように配置できます。

 現実性が高いことはMODの良さには直結しません。ファンタジーかリアルか、ということです。





 Bannerlordは今のところバニラを拡張するMODがほぼ全てなので、世界そのものを作り変えているこれらのMODはWarbandならではです。

 では、一つ一つのMODについて軽く魅力を語っていきます。程度の差はあれど全て実際にプレイしています。

 紹介の順番はバニラ・日本・西洋・世界です。それぞれの分野内は時代順に並んでいます。
 あと、画像には無いのですがとりわけ癖の強いMODを最後にいくつかご紹介します。
 日本語MODがあるとないとではプレイのしやすさが段違いなので、日本語MODがあるMODは[日]を添えています。

バニラ風MOD

 

[日]Call to Arms

Wiki内ページ:https://w.atwiki.jp/warband/pages/86.html

火器・陣形・独立・討伐・フリーランス

 和製MODなので、Nativeに日本語MODを入れていれば言語を日本語にするだけでおkです。
 本MODの特徴として「独立して国家を作りやすい」というのがあります。バニラだと孤立した状態で他国家から無茶苦茶攻められるのでかなり厳しいのですが、本MODでは諸侯を3人雇えたり、民兵を大量動員できるのでまだ耐えられます。あと、諸々の便利MODの機能も入ってるので快適です。
 たまに200人くらいのむちゃ強傭兵団が湧くので注意しましょう。なんと金で雇える(名誉は下がる)。

 

 

[日]Nova Aetas

Wiki内ページ:https://w.atwiki.jp/warband/pages/164.html

火器・階級・植民地・建設・時代経過・探索・労働

 バニラから千年後を描いているらしいですが、中身はかなりヨーロッパです。
 普通のMODは汎用便利MOD+いくつか独自要素、という感じなのですが、本MODはかなり多くの独自要素があります。
 まず階級制度。序盤だと城からは問答無用で追い払われますし、礼をせずに諸侯と話そうとすると嫌われます。
 次に植民地。本MODでは海洋に出ることが可能で、島に植民地を築けます。植民地への輸送、移民勧誘、建築は全て自分で行えます。これはすごい革新的なシステムだと思います。
 さらに、時間経過で武器が進化したり、十字軍がサラン朝に発せられたりします。
伐採・採掘といった生活要素もアリ。拡張されすぎてやばいです。

 

 

日本風MOD

 

[日]関東動乱

WIKI:https://w.atwiki.jp/kantoudouran/pages/1.html

史実・祈祷

 和製MODなので最初から日本語が入っています。
 2chの有志が結集して作られたMODのようですが、かなり忠実に史実が再現されています。舞台は戦国時代初期の中部~東北の南部。やや狭いですが、その分濃度は濃いです。歴史オタ向け。

 特殊なシステムとして、神社にお参りに行くとあるステータスが上昇するというものがあります。戦国時代っぽい感じ。

 

[日]Gekokujo-Daimyo Edition

Wiki:https://w.atwiki.jp/warband/pages/168.html
日本語:https://ux.getuploader.com/MnB2/download/556

経営・探索

 こちらは海外製MODですが、かなりリアルな戦国時代を描いています。
 舞台は戦国時代の全日本。有名な武将が数多く入っています。ただ織田と江戸の徳川が居たり、やや適当。しかし雰囲気は完全に戦国時代です。コンパニオンは作者の趣味が半分くらい入ってます。
 面白いシステムとして、佐渡等の外れの所にはプレイヤーが利用できる拠点があります。僧兵とか雇えますね。
便利系MODも一通り入っているので困ることはないでしょう。

 

西洋MOD

 

Rome at War

DL:https://www.moddb.com/mods/rome-at-war2

史実・募兵

 全MOD中でもかなり古い時代をテーマにしたものです。その時代とはなんと成立したてのローマ。周りにいっぱい都市国家があります。マップはイタリア半島・バルカン半島と狭めで、密度もそこまで高くありませんが、逆にそれが古代っぽくて雰囲気があります。
 本MODの募兵は独特で、戦闘しても兵士のレベルは上がりません。ではどうやって訓練するのかといいますと、町でお金を払ってアップグレードします。兵科ツリーはかなり複雑でとても覚えられません。

 

[日]1257AD

Wiki内ページ:https://w.atwiki.jp/warband/pages/61.html#id_0a3f2ffe

史実・経営・騎士団・十字軍

 舞台はそのまま1257年のヨーロッパ。教皇が無茶苦茶強くてガンガン十字軍してた頃です。MAPはかなり広く、南北は北欧から北アフリカ、東西はイギリスからアナトリア半島まであります。
 独自要素として当時の社会制度、例えば十字軍の登用や荘園経営があります。どちらもよくできているシステムです。

 

 

 世界MOD

 

16thCentury-the-Northern-Hemisphere

DL:https://www.moddb.com/mods/16th-century-northen-hemsphire/downloads/16th-century-the-northern-hemisphere1

探索

 シングルプレイのMODでは最大規模のMAPを誇るMODでしょう。名前の通り北半球の全てに都市がありますし、それどころか南半球にも行けます。つまり、全世界です。
 勢力数・都市数も圧巻。探索するだけでも無茶苦茶時間がかかります。
 これだけ大規模だと装備とかは大雑把なのかというとそんなことはなく、各地域でしっかりと装備が違います。西洋は鎧ですし、中国はなんか中国の鎧ですし、遊牧民は遊牧民です。

 

Between Empires

DLページ:https://www.moddb.com/mods/between-empires

銃器・指揮

 舞台はWW1前とかなり最近です。放浪が許される最後の時代でしょう。M&B:warbandは10年前のゲームであるため殆どのMODは更新が停止しているのですが、本MODはなんと現在も開発され続けています。独自要素が数多くあり、便利MODが一切ないという特殊な最新MODです。
 独自要素として本MODでは「見下ろし視点による兵士の指揮」が可能なため、大幅にストラテジー要素が増えています。また、時間の経過に合わせて技術が進歩します。他にもありますが基本はこのくらいですね。アップデートを重ねて神MODへの道を歩んでいる最中といったところ。

 

 

その他MOD

 ここまでNativeの雰囲気を壊さないゲームでしたが、ファンタジー世界に魔改造するMODも存在します。

Touhou gensokyo warfare

Steamページ:https://steamcommunity.com/sharedfiles/filedetails/?id=2021409684&searchtext=touhou

東方

 なんと東方。幻想郷が舞台で、いつもの放浪者から始まるモードに加え、ストーリーモードもあります。有名キャラから無名妖精まで、色々なキャラが再現されています。
 制作は中国の方で、意外にも日本語化されていません。
 現在はBannarlord版を開発しているようです。

最後に

PerisnoやPoP等の有名MODからL`Aigle等のややマイナーな秀逸MODもありますが、全て遊ぶには時間が足りません。気になる方は是非やってみてください。日本語化されたMODがやはりおすすめです。というか日本語化されてるMODは全部面白い。

では、今回はここまでです。ご観覧ありがとうございました。

2021年10月2日土曜日

【エッセイ】科学は本当に正しいか【科学哲学】

 


 ごきげんよう。
 今回はエッセイです。
 基にしたのはこの本。例のごとく図書館で借りてきました。

 

 読みやすさ等の主観的な感触は次の通り。

要素 :10段階評価

内容の広さ:7

文理傾向:文系寄り

文章の難しさ:5

前提知識の多さ:3

 哲学の本の割にはかなり読みやすかったです。「科学哲学」という単語に何か感じたものがある方は是非読んでみてください。

 

科学哲学は嫌われ者

 科学哲学とは、「科学とは何か」を追い求める学問です。科学によって人間はとんでもなく豊かな暮らしを送り、将来の可能性も無限大です。最近は「空飛ぶ車」も実験に成功し、着々と実用化へと近づいています。


 

 では、その「科学(ここでは自然科学)」って何なのでしょうか。科学哲学は、科学の正体を明らかにしようとする学問です。

 ところが、科学哲学は科学者から歓迎されていません。なぜなら、科学とは何か考えたところで科学の発展には一切関係しないからです。科学者からしてみれば、仮説を立てて実験をして頑張ってる横で「あの実験ってどういう意味?」ってのを延々を議論してるのが科学哲学者ですから、まあ邪魔ですよね。科学の正体を明らかにする必要はそもそもないと科学者たちは考えています。

 

科学とは何か

 なぜ哲学は科学ではなく、物理学は科学なのでしょうか。正直、「何となく科学っぽいから科学」みたいな感じで科学か否かを判断する方も多いでしょう。

 まず科学の定義となりえそうなものに、「仮説を立てて実験で正しいか証明するのが科学」というものが浮かびます。辞書での定義もおおよそこのようなものです。しかし、これには天文学や地学、気象学という「実験しない(できない)科学」の反例があります。これらは観察のみを用いて法則を見出していく科学です。

 その他、反証可能性の有無等を用いたりする等、客観的な基準を作ろうとする試みは20世紀からずっと行われていますが、全て失敗しています。つまり、科学にはっきりした定義はありません。

 

科学の信頼性

 はっきりした定義のない科学なんてものに依存したままでいいのでしょうか。
 ぱっと出る理由付けとして「今までうまくやってきたのだから、これからもうまくいく」というものがあります。しかし、これは誤りです。

 例えば、「来年も春が来るか?」という問いに対して、来ると思う人と来ないと思う人が居るとしましょう。このとき、来年は春が来ないと思っている人の方が非合理的・非科学的に思われるでしょう。なぜなら、氷河期以来春が来なかったことはないからです。この人は「今まで毎年春が来ているのだから、来年も春が来る」ということを信じていないという点で非科学的なのです。

 しかし、私たちはこの人をバカにすることはできません。なぜなら、誰も確実に未来を予想できないからです。分かっているのは「来年は春が来る確率が極めて高い」・「現時点の知識から考えると来年も春が来るのは明らか」ということだけです。超低確率を引いたり、未知の事象が起きることによって春が来なくなる可能性は否定しきれません。

 むしろ、「今まで毎年春が来ているから来年も絶対に春が来る」としか思えない人の方が非科学的ではありませんか?科学は未知なるものを明らかにして発展してきました。何か未知なるものが春の到来を左右しているのではないか、そういった疑問が科学の発展をもたらすように思います。

 

合理的とは経験的であること

 改めて、「科学的な正しさ」言い換えれば「合理性」はどこから来るのでしょうか。それは「経験」です。経験はあらゆる生物に備わっており、時に学習、時に進化という形で現れます。人間も自然から生まれた存在である以上、経験に基づくのが最も合理的なのです。

 科学は野生からすごく離れた営みに感じますが、実際は人為的に経験をしているに過ぎないのです。

 

理論選択にアルゴリズムはない

 かつて科学哲学は。自然の真理へ続く一本道をひたすらに進むとみなされていた科学を哲学やその他社会分野に応用することを目的としていました。ところがある科学哲学者が科学史に目を付け、全く一本道を進んでいないことに気付きます。そこで、科学は非常に効率的であるとする派としない派の論争が起こり、しない派が勝利しました。現在もこの派閥が中心であるため、科学には批判的です。

 さて、「理論選択にアルゴリズムはない」という言葉は、科学史に目を付けた哲学者の言葉です。言われてみれば納得する言葉です。


 例えば、ビックバン論VS定常宇宙論を挙げてみます。20年ほど続いた論争ですが、定常宇宙論では説明がつかなくなった事象(宇宙背景放射)が出たことから、現在ではビックバン論の方が正しいとされています。

 ところが、その事象が観測されるまでは定常宇宙論の方が優勢でした。「ビックバン」という名前も、元は定常宇宙論者がビックバン論者をバカにして出てきたものです。


 当時はどちらの理論でも当時存在した事象を説明することができ、同程度の理論的な問題点がありました。にも関わらず定常宇宙論が優勢で、ビックバンが勝利するまでに20年も要しました。ここから分かるのは、「同程度の理論同士を比べてどちらが良いか判断するとき、科学以外の要素も関係する」ということです。例えば権威ある科学者の言葉などです。これではとても真理まで一本道を行っているとはいえません。

 

科学哲学は不要か

 よく目にする論争です。
 科学の正しさは経験知に由来するもので、とどのつまり科学哲学は「なぜ経験が正しいと思うのか」という本能的で答えが出ない問いを考えているだけにすぎない・・・と考えると、科学哲学は不要に思えるのでしょう。
 しかしながら、学問に不要なものは存在しません。そもそも必要かどうかでするものでもありません。なので、個人的にこの論争はそもそも意味がないのではないかと思います。答えが出ない問いを考えるのが哲学ですし。
 また、世間が科学を過度に信頼しつつある中、常に批判的な目を向ける存在はあった方が良いでしょう。今の科学が暴走すると人造人間や地球破壊爆弾が生まれかねません。

 

さいごに

 科学は人間社会を飛躍的に発展させました。が、だからといって科学を全面信頼していいわけではありません。科学は本当にいつでも正しいのか考える必要があるでしょう。