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2021年8月4日水曜日

【エッセイ】自然に学ぶ「合理性」とは

生物の多様性 合理性 弱者の戦略 エッセイ 読書感想 要約

弱肉強食といいますが、本当にそうでしょうか。ガ、ハエ、なめくじといった弱そうな生き物でもしっかりと生きています。彼らはどうやって生き残っているのか?そこから自然の、我々の”合理性”を見出します。

 ごきげんよう。
 今回はこちらの『弱者の戦略』という本を読んだうえでのエッセイです。

2021年7月6日火曜日

ゲーム理論で考える社会戦略ー”得”を最大化する方法【読書記録】

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ゲームとしての社会戦略 ゲーム理論

ごきげんよう。今回は 「ゲームとしての社会戦略 ー計量社会科学で何が理解できるか」の読書記録です。エッセイにするような題材が思い浮かびませんでした。

 例のごとく図書館から借りてきました。 

2021年6月25日金曜日

農業の生産力とは、工業との違いとは【エッセイ】


この記事はエッセイなので、コメント欄は閉じてあります。質問や感想、明らかな誤りはメッセージにてお願いします。
また、読書記録も兼ねているので、このエッセイは出典図書を骨組みとし、知識不足で不明瞭なところをネットで調べて補完しています。

この記事から学べるかもしれないこと

・近代的な農業の欠陥
・工業と農業の効率は違う
・今の日本の政策の根本にあるもの

 

読んだ本について

 今回読んだ本は、こちらの『農業における生産力の発展とはなにか』です。経済学と農学の入門書として書かれたようです。Amazonでは発行年が2000年となっていますが、実際に発行されたのは昭和57年で、農作物について関税を引き下げるかどうか論争になっていた時代です。

 内容は先見的で、丁度いま広まりつつある認識のようなことが書かれています。 

 以下にamazonのリンクを張っておきますが、図書館に置いてあると思います。

 

 

農村と都市、農業と工業

  農村と都市。この2つは対立するものであるだろうか。ほぼ全ての人が対立するものであると考えているだろう。
 しかし、農家とサラリーマンは本来同じ身分の出であり、どちらも労働者である。住んでいる場所と仕事内容が異なるに過ぎない。ところが今、この2つの身分はお互いに敵対しあっている。
 農作物輸入の自由化が勢いづいた理由は簡単で、労働者は安く食料を買いたいからである。つまり、当時の日本の食料品は高いと思われていたということだ。輸入自由化をすると自国の農業が危機に晒されるというのは政府はよく理解していたが、貿易摩擦の問題もあって、内外からの圧力によって結果的に自由化を行わざるを得なくなった。その結果、食料自給率は大幅に下がった。現在のカロリーベースの食料自給率は4割もない。

 

日本の食料が高い理由

 なぜ日本の食料品は高いのだろうか?簡単にいうとその答えは「農業の工業化」である。戦後、日本は工業で成功したことから、農村にも工業化の波がいき、農村側も効率向上を図って工業化を受け入れたのだ。
 工業化とはすなわち、分業化と機械化である。まず、分業化について語る。

 

分業化について

 かつての日本の農業は共同体によって行われ、何も無駄にすることなく、周囲の自然の中で循環するものだった。一言でいうと「有機農法」である。ところが現在の農業は主に個人でするものであり、化学肥料を使っているし、廃棄物も出ている。以前は肥料として再利用していた廃棄物だが、今はゴミとなり、燃やされている。地球全体としては循環しているかもしれないが、これでは周囲の自然の中で循環しているとはいえない。また、この廃棄物は環境問題の一因ともなっている。
 では、廃棄物が出るようになったきっかけは何だろうか。それは農業の専業化だ。本来、農業というのは複合的である。米、野菜、果物、家畜すべて育ててこそ農家だ。米しか作れない農家、野菜しか作れない農家は農家ではない。昔の日本の農業は複合的であったから、例えば家畜の糞を畑に持って行って肥料とすることができた。だが、今は畑しか持っていない農家が多いからそのようなことができない。
 米しか作らない農家、野菜しか作らない農家、家畜しか育てない農家に分かれたことが「分業化」である。これによって、これまで再利用できていたものができなくなったのを化学肥料によって補うコストが農作物に上乗せされ、日本の農作物は高くなっていた。
 現在は化学肥料の使用量は減少を続けており、これは良い傾向である。

次に、機械化について語る。

 

機械化について

 戦後、日本の農業には次々に機械が導入され、革命といえるほど農業活動がやりやすくなり、生産量が増大した。当然農家の人は喜んだ。
 しかし、以前より多くの農作物を売っているはずなのに、利益はむしろ減るのだ。これは資本主義のシステムによるもので、「沢山あるものは価値が下がる」という原則が農作物に適用されている。これが豊作貧乏である。
 また、機械のコストを農作物に上乗せせざるを得ないため、減った利益が更に減る。これが機械化貧乏である。
 機械化貧乏について、参考図書より以下の文を引用する。


『だいいち、蒸気力や原子力の利用=機械化・大型化は、コスト(労賃)引き下げのために資本家がやることなのだ。
農業の場合でも大体同じだ。日本の農家は資本家ではないから、機械化しても機械化貧乏等が起こり、結局のところ、農家の自己労賃を引き下げる結果にならざるをえない。』

 

 これら2つの傾向を合わせて工業化が進んでいる。しかし農業は農業であるため、工業化した農業といえども、工業の原則を適用すると壊れてしまう。その原則とは、「生産量を上げることが生産力の向上である」というものだ。工業においてこれはある程度正しい。しかし、農業においては誤りだ。
 では、農業における生産力の発展とは何なのか。それを明らかにするには、今の農業にある問題点を把握する必要がある。

 

近代からの農業の問題点

 何かを生産するとき、必ず「自然力」を使っている。自然力とは、土地の力、風力、太陽光、人間の力等、人工でないものである。電力も元を辿れば水力、石油などの自然力である。
 農業においても、もちろん自然力を多く使っている。特に土地の力には依存しているといってもいい。しかし、これまでの日本の農業はこの土地の力を軽視しているのだ。
農作物を作るとき、土地の力を消耗している。これまでは有機肥料によって土地の力を回復してきた。しかし、化学肥料だけでは土地の力は戻らない。分業化によって連作することが多いのも更に土地の力の消耗を加速させている。最近になってようやく有機農法に戻る動きが強くなってきたが、まだまだ不十分であろう。(R2農業白書P30)


 イギリスには「土地から出たものは土地に返す」という法律がある。土地の力を維持することによって農作物を将来にわたって生産することができるのだ。
 とすると、化学肥料を用い連作を行うのは、土地の力を過度に利用しているのだ。人間でいうと「徹夜」である。寝不足は寝れば回復するが、土地の場合は栄養不足に陥ると十年は回復しない。栄養不足に陥った農地は住宅地等として売られ、「死ぬ」のだ。なぜ土地を殺すのかというと、その方がわざわざ農地を復活させるよりも経済的に効率的だからである。

 

負の循環からの脱却

 全ての労働者が最も安い農作物を買うわけではない。「地産地消」に興味がある人もいるのだ。多少高い値段でも農作物を売るためには、国産の専売特許である「地産地消」というものを利用する必要がある。
 それを促進するためには、農村と都市の断絶をなくすことが不可欠だ。断絶をなくす主な活動としては「野菜の定期配達」が挙げられるが、まだまだ少数派であるし、これはスーパーに大量の野菜を一気に運ぶより運搬コストがかかる。生産者表示なども一例だ。
農村と都市の断絶をなくし、とりあえず農村の衰退は防げたとしよう。次に目指すのは発展であるが、そのためには海外の食料の値段と同等かそれ以下にまで農作物の価格を下げなければならない。


 価格を下げるにはどうすればよいか?まず前述したように、上乗せされている「分業化」の価格と「機械化」の価格を削ればよい。しかし、分業と機械を放棄するのは農家の人にとって農業の後退であり、大変な負担である。

 

農業における生産力の発展とは

 放棄する代わりに、「合理的な農業」を始めればよいだろう。「合理的」とは、「どの作物も作りすぎないように農家同士で計画し、土地の力を維持しつつ計画通りに生産していく」ということであると提案する。このような農業は、廃棄物を出さないし、機械の費用も抑えられるし、豊作貧乏も起こさないし、土地の力を維持しつつ長期的に農業ができる。現在の農林水産省もこのような持続的な農業を推進している。
 ところで、合理的というものの中には「分業」というのも含まれている。先ほど分業化が土地の力を低下させていると書いたが、土地の力を低下させない分業はデメリットのない効率化である。
 土地の力を低下させない分業とは、「複数の土地を農家の団体が所有し、農家が土地を交代していく」というものである。こうすれば連作は起こらないし、一人の農家が複合農業をするよりも大規模な農業ができる。


 ここまで化学肥料のことを悪く書いたが、土地の力を低下させないのであれば、化学肥料も農薬も非常に有用である。これまでそれらに依存しすぎていたのが問題なのだ。
 このような合理的な農業をしてこそ、生産力の発展が可能になると考える。

 

今後の農業の動向

 農業白書を眺める限り、アメリカ式の「大規模企業農業」を取り入れようとしているように思える。(農業白書pdfP22など)確かにこれは合理的であるが、小規模運営である農村を壊しはしないか不安である。
 しかしながら、三十年以上前にこの本に書かれた理想に向かって近づく方向へ政策が定められており、出典図書の筆者も報われたことだろうと思っている。

出典図書:『農業における生産力の発展とはなにか』
参考:令和二年度農業白書(https://www.maff.go.jp/j/wpaper/w_maff/r2/pdf/r2_gaiyou_all.pdf)

 

では、今回の記事はここまでです。ご観覧ありがとうございました!

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2021年5月29日土曜日

リスク学とは何か【読書記録】

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ごきげんよう。
読んだ本の内容を半分備忘録的にまとめています。
今回は「リスク学入門1」です。図書館で借りました。